Revue des ports maritimes
モノの価値は、見る人それぞれ
9月末に個展「それは終わりあるもの」を開催。瓦礫の中から枝葉を伸ばした逞しい「自由花」や、彫刻のような美しいフォルムの陶器に赤い実のなる草木を生けた季節感ある「生花新風体」など、ルールに則るだけでなく、古来のイメージを覆すようないけばなも発表した、廣内翔真さん。人生初となる個展への想いや、彼のルーツを辿る。
Ikebana artist/華道家
Shoma Hirouchi/廣内翔真
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「母親が習っていたこともあって、物心ついた時はいけばなを始めていました。はじめは、オアシスという水を吸い込むスポンジに千切った花を挿して遊んでいる程度でしたが、花に触れることは日常でした」
廣内さんがこれまで師事したのは、計2人。3歳から大学卒業まで教えてくれた先生と、地元・京都を離れ、現在、東京にて習うファッションにも通ずる先生だ。
「一人目の先生はなんでもやらせてくれてたんです。花をちぎったり、水に浮かべて遊んでも怒らなかった。いま思うと僕のことを本当によく理解していてくれたんですね。3歳から地元・京都を離れる大学卒業まで、その人に習いましたが、嫌いにならずに続けられたのは、彼女のおかげだったと思います」
上京後は、国内メゾンブランドにて、5年間に渡り販売とPRを経験。怒涛の忙しさの中、自分の強みとは何か考えるようになったと話す。
「このままだと自分を見失ってしまうなと思ったんです。そこで改めて見つめ直したときに、これまで続けてきたいけばなだ、と。そんなときに京都時代の先生に紹介してもらったのが、いまの先生。彼は、ズッカ(ZUCCa) などのファッションブランドに在籍していた芸大出身の先生で、自分がファッション界にいることもあるからか、美意識が自分と近くて」
いけばなには様々な流派があるが、廣内さんは池坊の門弟として、25年近く学んでいる。これまで変えたいと思ったこともないそうだ。
「僕は自身の装いでは、カルチャーよりも視覚的な印象、直感のかわいいかっこいいを重視します。だけどいけばなでは、見た目の華やかさはもちろん、自分がこれまで時間をかけて培ってきた礎となる部分やクラシックなよさを大切にしたい。それに、いまの僕は赤髪でツノもある。そんな見た目とは裏腹に、日本の伝統文化に従事しているというギャップにも意味があると思っていて」
「弱さと強さの対比。瓦礫と木の作品で言うならば、木は、瓦礫から養分を吸い取ることのできない弱い物体かもしれない。でも瓦礫も、元を辿れば家やコンクリートなどほかのオブジェクトとして使われていたものだから、物体の価値としては弱い。そんなそれぞれにあるモノの側面を、いけばなを通して表現したかった。タイトルにもありますが、どんなモノにも『終わりがある』ことも伝えたかったことの一つ。どれだけ強くたって弱くたって結局は終わりに向かって進んでいる。これはテーマというよりは、自分が生活している上で感じていることなので、どの作品にも通じているかもしれません」
「日々生きる上で感じていることが、いけばなを通して表現されている」ということは、個展は、彼がそのときをどう感じ、生きているのかを知ることのできる機会でもある。どんな作品が並ぶのか、次の展示も楽しみだ。
photography:Usami Naoto
text:Anna kobayashi